《地蔵盆》


古来より夏のお地蔵様の縁日(24日)にお寺やお堂に、お花や提灯、小豆や黄な粉団子、お菓子などを供え、また夜になると万灯会や盆踊りなどを催して、お地蔵様を祀る行事が盛んに行なわれてきた。地福寺では、地元の子供達はもちろんのこと、お盆に帰省している子供達も家族皆でお参り出来るようにと、盆の入り(8月13日)に地蔵盆を行なっている。

この地蔵盆は、賽神(サエノカミ)信仰《賽の河原で地蔵菩薩が助けて下さる》と結びついて、子供との関連が強くなり、江戸時代頃に現在の地蔵盆の形態をとるようになった。

「賽の河原和讃」にうたわれるように、この世とあの世との境にあって、特に哀れな幼児を助けてくださるので、賽神(サエノカミ)や道祖神などと通ずるものがある。

釈迦入滅後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が下生されるまでの間を《無仏の時代》といわれる。この無仏の時代に救済の手を差しのべてくださるのがお地蔵様。

地蔵信仰は、古来、中国より伝わり、敦煌の壁画にも地蔵菩薩は描かれています。日本へ伝わった地蔵菩薩は、民間信仰と融合し、独自の発展を遂げていく。昔は、村の境にお地蔵様をお祀りしていた。この世と冥界との橋渡しをお地蔵様がしてくださる由縁から村の境界には必ずお地蔵様がお祀りされた。

又、お地蔵様の利益(りやく)というのは、特に現実の生活と関わっていて、実に様々な部面にわたっている。「子安地蔵」「身代わり地蔵」「とげ抜き地蔵」「田植え地蔵」などなど。古来より、常に民間の生活の中に溶け込んで信仰されてきた。そして、安産や子育てを願ったり、延命や息災を祈ったりすると、その祈願を叶えてくれるだけでなく、命の危険にさらされた時、一心に祈ると命を助けてくれたりと、誠に多様な利益を施してくださると信仰されてきた。








《大数珠繰り・百万遍》

大数珠繰りは、百万遍・大念珠繰り・百八万遍とも呼ばれ、信仰形態は、その地方により様々な遣り方や呼び名がある。昔は、実際に真言や念仏を百万回お唱えしていたが、時間や日数も必要となるので、お唱えする人の人数掛ける真言や念仏の数で百万回を計算する所が多い。百万遍念誦(10人が輪になって真言を唱え、1080個の玉の大数珠を100回、順送りにする仏事。合わせて百八万回の真言を唱える)を行うことは修行としては可能ですが、短時間行事としては不可能ですので、地福寺では、あえて大数珠繰りと呼んでいます。民間信仰としての場合は田植え期に五穀豊穣を願い、近隣のお堂などで行なっている。


【地福寺の大数珠繰り】
大数珠の輪の近くで鉦を叩く役が一人座り、この役が鉦を叩くと同時に大数珠を両手ですくいあげ、ゆっくりとまわす。お地蔵様の御真言「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」を百八つ交代でお唱えしながらまわし
大数珠の大きな房の部分が自分に廻ってくると、房に向かって頭をたれ、気持ちを込めて祈り、房を額に戴きながら廻す。

古来より地蔵盆の大数珠を体に当てると、邪気を払い除け、身を清めてくれると言い伝えられている。

また、大数珠は、祈願だけでなく、死者の供養や虫送り、雨乞い、日乞い、疫神送りなどの目的で修せられてきた。この時、お供えする小豆御飯のおにぎりは、鎮送する神や御霊などのお供え物であった。前述の様に、地蔵盆は古来から、大数珠繰りの呪力でもって、村内の悪霊を村外へ鎮送する、神送り、仏送りの日でもあった。





大数珠は、約10名〜12名で三周廻します。

一周目は、日頃の感謝の気持ちをご先祖様にお伝えしましょう

二周目は、皆の幸せを願いましょう

三周目は、自身の願いを一つ念じましょう

そして、大きな房が自分の前に来るまでの間は、お地蔵様の御真言を一心にお唱え致します。

皆で1つの大数珠を廻しながら、御先祖様へ対する日頃の感謝、そして皆の願いを皆で祈りませんか。


《賽の河原地蔵和讃》(光明山地福寺 地蔵盆用)

帰命頂礼地蔵尊           無仏世界の能化なり

これはこの世のことならず      死出の山路の裾野なる

賽の河原の物語           聞くにつけても哀れなり

この世に生まれ幼くし        親に先立つ悲しさは

諸事の哀れをとどめたり

二つや三つや四つ五つ        十にも足らぬおさなごが

賽の河原に集まりて         苦患を受くるぞ悲しけれ

娑婆と違いておさなごの       雨露しのぐ住処さえ

無ければ涙の絶え間無し       河原に明け暮れ野宿して

西に向かいて父恋し         東を見ては母恋し

恋し恋しと泣く声は         この世の声とは事変わり

悲しさ骨身を通すなり

げに頼みなきみどりごが       昔は親のなさけにて

母の添い寝に幾度の         乳を飲まするのみならず

荒き風にも当てじとて        綾や錦に身をまとい

その慈しみ浅からず

然るに今の有様は          身に単重さえ着物無く

雨の降る日は雨に濡れ        雪降るその日は雪中に

凍えて皆々悲しめど

娑婆と違いて誰一人         哀れむ人があらずとや

ここに集まるおさなごは       小石小石を持ち運び

これにて回向の塔を積む

手足石にて擦れただれ        指より出づる血の滴

体を朱に染めなして         一重積んでは幼子が

もみじの様な手を合わせ       父上菩提と伏し拝む

二重積んでは手を合わし       母上菩提と回向する

三重積んではふるさとに       残る兄弟我がためと

礼拝回向ぞしおらしや

昼は各々遊べども          日も入り相のその頃に

地獄の鬼が現れて          幼き者の側に寄り

やれ汝らは何をする         娑婆と思うて甘えるな

ここは冥土の旅なるぞ        娑婆に残りし父母は

今日は初七日、二七日        四十九日や百箇日

追善供養のその合間

ただ明け暮れに汝らの        形見に遺せし手遊びの

太鼓人形風車            着物を見ては泣き嘆き

達者な子供を見る度に        なぜに我が子は居ないのか

酷や可哀そうや不憫やと       親の嘆きは汝らの

責め苦を受くる種となる

必ず我を恨むなと          言いつつ金棒振り上げて

積んだる塔を押し崩し

汝らが積むこの塔は         ゆがみがちにて見苦しく

かくては功徳になりがたし      とくとくこれを積み直し

成仏願えと責めかける

やれ恐ろしやと幼子は        南や北や西、東

こけつまろびつ逃げ回る

なおも獄卒金棒を          振りかざしつつ無惨にも

あまたの幼子睨みつけ        既に打たんとするときに

幼子怖さ、やる瀬なく        その場に座りて手を合わせ

熱き涙を流しつつ          許したまえと伏し拝む

拝めど無慈悲の鬼なれば       取り付く幼子はねのけて

汝らなぜと思うかよ         母の胎内十月の内

苦痛さまざま生まれ出で       三年五年七年と

わずか一期に先立って        父母に嘆きを掛くること

大きな悲しみ遺したり

娑婆にありしその時に        母の乳房に取りついて

乳の出でざるその時は        責まりて胸を打ち砕く

母はこれを忍べども         などて報いの無かるべき

胸を叩くその音は          奈落の底に鳴り響く

父が抱かんとするときに       母を離れず泣く声は

八万地獄に響くなり

父の涙は火の雨と          なりてその身に降りかかり

母の涙は氷となりて         その身をとずる嘆きこそ

子故の闇の呵責なれ

かかる悲しみある故に        賽の河原に迷い来て

長き苦患を受くるとぞ        言いつつまたもや打たんとす

やれ恐ろしと幼子が         両手合わせて伏し拝み

許したまえと泣き叫ぶ        鬼はそのまま消え失せる

河原の中に流れあり         娑婆にて嘆く父母の

一念届きて影映れば         あの懐かしの父母や

飢えを救いてたび給えと       乳房を慕いて這い寄れば

影はたちまち消え失せて       水は炎と燃え上がり

その身を焦がして倒れつつ      絶え入ることは数知れず

峰の嵐が聞こえれば         父かと思うて馳せ上がり

辺りを見れども父は来ず       谷の流れの音すれば

母が呼ぶかと喜びて         こけつまろびつ馳せ下り

辺りを見れども母は無く

走り回りし甲斐もなく        西や東に駆け回り

石や木の根につまづきて       手足を血潮に染めながら

幼子哀れな声をあげ         もう父上はおわさぬか

あの懐かしや母上と         この世の親を冥土より

慕い焦がれる不憫さよ

泣く泣くその場に打ち倒れ      砂をひと寝の石まくら

泣く泣く寝入る不憫さよ

されども河原のことなれば      小夜吹く風が身にしみて

またもや一度目をさまし       父上なつかし母ゆかし

ここやかしこと泣き歩く

折りしも西の谷間より        能化の地蔵大菩薩

左に如意宝の玉を持ち        右に錫杖つきたまい

ゆるぎ出でさせたまいつつ

幼き者のそばに寄り         何を嘆くかみどりごよ

汝ら命短くて            冥土の旅に来たるなり

娑婆と冥土はほど遠し        いつまで親を慕うとぞ

娑婆の親には会えぬとぞ       今日より後は我をこそ

冥土の親と思うべし         幼き者を御衣の

袖やたもとに抱き入れて       哀れみたもうぞ有難や

いまだ歩まぬみどりごも       錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌に          泣く幼子も抱き上げ

なでさすりては地蔵尊

熱き恵みの御涙           袈裟や衣にしたりつつ

助けたもうぞ有難や

大慈大悲の深きこと         地蔵菩薩に如くはなく

これを思えば皆人よ         子を先立てし人々は

悲しく思えば西へ向き

残る我が身も今しばし        命の終わるその時は

同じ蓮のうてなにて         導き給え地蔵尊

両手を合わして願うなり

南無大悲の地蔵尊

南無大悲延命地蔵菩薩

オン カカカビ サンマエイ ソワカ







トップへ戻る